【南部アフリカ①】戦々恐々 世界最凶の街へ降り立つ(ヨハネスブルグ)
2009年5月、成田空港からシンガポール経由でヨハネスブルグ(Johannesburg)へ。
機内は想像以上に黒人が少なく、アジア人が多い印象でした。
早朝、アフリカの大地が見えてきました。大学時代に過ごした寮でルームメイトだったイギリス人の友人は南アフリカの大学卒。ということで事前に南ア訪問を話していました。
決して脅しではない事実を教えてくれましたが、それはもう苦笑いものばかり。
「Jo'burg」「Jozi」と呼ばれるヨハネスブルグ。ORタンボ空港(O.R. Tambo International Airport)では日本人パスポート保持者をチラホラ見かけました。
パスポートコントロールの黒人はアフリカ訛りの英語を話す陽気な人で緊張がほぐれました。
空港内で両替を試みますが、頭の中で計算すると米ドルだと損をしてしまうので日本円で南アフリカランドを買うことに。
軍資金ができたので、公衆電話から安宿(Emerald Backpackers)へ電話をします。少々かけ方が分かりづらかったですが、なんとか繋がりました。
Bafana Bafanaとは、サッカー南アフリカ代表の愛称です。
40分後、約束した空港内の場所にジンバブエ出身だという宿の人が迎えに来てくれました。きれいなユースホステルで、さっそく昼からのツアーに申し込みます。
絶対に見たいのは①ヨハネスブルグ市内ツアー②ソウェト(Soweto)ツアー。
お金はかかるけど個人ツアーも可能ということで、早速申し込み。①は今日、②は明日です。
明後日、僕はスワジランド(Swaziland)という小国へ行きたくて、宿の人にバスのことを聞くも「よく分からない」という返事。
旅程は変えたくないが、ダウンタウンのバスターミナルへ単身行くのは危険過ぎます。
ドミトリーのベッドで考えていると30分ほど寝てしまいました。
ムクリと起き上がり、再びフロントで相談すると、ネルスプリット(Nelspruit)行きのバスなら空港から出ていると言います。
それは渡りに船!ということで予約。「バスの予約はお前がやれ」というので、「お願いしますよ」というとやってくれました。なぜか今は買えないらしいので、明日リトライすることに。
しらばらくすると、一台の車がホテルへ入ってきました。
その運転手が僕のガイド。名前はエイビー。
R1600(1万2000円!)を払って握手をして車に乗り込みます。
②へつづく
【地図】