【南部アフリカ②】戦々恐々 世界最凶の街へ降り立つ(ヨハネスブルグ)
いよいよヨハネスブルグ市内個人半日ツアーがスタート。
街の歴史なんかを教わりながら、遠くの摩天楼を目指し車は進みます。
50歳くらいのエイビー(Abe)が色々教えてくれます。
「ヨハネスブルグの人種別人口は、黒人が50%以上、ついで白人、カラード(混血)、インド系さ」
「私の父の世代は読み書きができなくて、サインは『×』とか親指の指紋だったんだ。警官や会社員になれないのであれば、教育を受ける必要もないだろう、っていうのが白人の考えだったんだよ」
ハイウェイを走る車や遠くのビル群を見ていると、90年代のアメリカにいるような感覚になりました。車はドイツ車やトヨタ車がほとんどでした。日本車はほとんど部品のみが使用されるそうです。
エイビーはいきなり悪名高いヒルブロウ(Hillbrow)という地区に入っていきます。
通行人はみんな助手席に座っている僕を見てくるような気がして、「僕がアジア人だからですか?」とエイビーに聞けば、「違う。ドラッグを買いたいかどうかのアイコンタクトだ」とのこと。
『赤信号でも停止するな』は嘘では無さそう。でも昼間ということもあり、女性や子どもも歩いています。
ヨハネスブルグのダウンタウンは、「ロサンゼルスみたいだなぁ」と思いました。
エイビーはConstitution Hillというところで車を停め、二人で外に出て観光します。通行人にジロリと見られるし、ヨハネスブルグを歩いていることで精神的に興奮している僕は、エイビーが解説してくれる英語の6割くらいしか頭に入っていなかったと思います。
ちなみにこのエイビー氏は小ぎれいな恰好で物知り。おまけに見知らぬ人とも挨拶を交わしていて、この時点でかなり信用していました。
Museum Africaを見学した後はTop of Africaというタワーを登り、街を見下ろします。
明日行くソウェトや、W杯決勝戦が開催されるサッカー・シティ(Soccer City)、ヨハネスブルグで最も危険な場所と聞いているPark Station(駅)もばっちり見えます。
さらに、「このへんはプアホワイトが固まって住んでいるのさ」という地区を見せてもらいました。南アフリカはオランダ系やイギリス系の白人が少なくありません。アパルトヘイトが廃止された後は、貧困層へ転がり落ちる白人も増えたそうです。
「白人は黒人の中にいるのを怖がるけど、私ら黒人は白人の中に入るのに抵抗はないなぁ」
この日、黒人と白人が一緒にいるところを全く見ませんでした。
ヨハネスブルグ市内にはチキンのチェーン店(Nando'sとか)が多く、僕の夕食はチキン一羽になりました。アメリカで「黒人ってチキン好きだよなぁ」と思っていましたが、アフリカの黒人もそうみたいです。
ホステルに戻ると、ケープタウン出身の初老の方がいて挨拶をしました。その後ドイツ人旅行者のお兄さんもチェックイン。かなり話していたら眠たくなったので就寝。
雨が降り、気温がぐんぐん下がりものすごく寒くなりました。
明日は貧困地区ソウェトへ連れて行ってもらいます。
③へつづく。
【地図】※ヨハネスブルグ市内のヒルブロウ地区