【南部アフリカ⑥】ポルトガル語圏&旧社会主義国家 モザンビークへ(マプト)
部屋の中で一番に目覚めるも時計は7時半。
僕は旅に出ると、ほぼ例外無く目覚まし時計が鳴る前に目覚めます。
とくにドミトリーや安宿のベッドの上だとほぼ必ず。
「〇時に起きないとバスに間に合わない」「バッグに入れた財布は大丈夫かな」などを考えているから、寝いている最中も気が張っているのだと思います。
たしかに旅の最中、グッスリ眠れたことがほとんどありません。
ガイドブックのLonely Planetを少し読んでから一人外出。マプトの街をゆっくり歩きます。
チラチラ人に見られますが、外見のことを言ってくる輩もいないし、とくに危険も感じません。でも隙を見せないように用心します。
通りでは、「〇〇幼稚園」「〇〇建設」など、ひと昔日本で活躍していたであろう車を見かけてホッとすることも。
とりあえず明日の南アフリカの首都プレトリア(Pretoria)行きのバスを買うべく、バスの事務所を目指します。
ここで気がついたこと。通りの名前や公園の名前が変!
「ロバート・ムガベ広場」「毛沢東通り」「ホーチミン通り」そして「金日成通り」なんてのもあります。
「ああ、旧社会主義国家にいるんだなぁ」と思い知らされました。
適当に入ったお店でブランチ。チキン一羽を注文しますが、たいしておいしくありませんでした。
食後は海岸近くの道をのんびり散歩します。
白人・上半身裸・自転車の男性が地元の人から失笑を買っていました。
こういう白人の人たちはアジアのビーチなどでもよく見かけましたが、やはり地元の人からニヤニヤ見られ小馬鹿にされている印象を受けました。
宿に戻ったら昨日のイギリス人女性2人組がいたので、夕飯の約束をしました。
しばらくベッドの上で横になりましたが、「せっかくだから」と自分に言い聞かせ、再び外出。
正直とくに目的はありませんでしたが、とにかく街を歩きます。アンテナを張って、なんでも見てやろうという気持ちです。駅や市場を見ることができました。
夕飯は今日もシーフード。市場でタイやエビを買って調理してもらいます。
従業員が英語ができる人で、自分のことをニガーと呼んでいたのが印象的でした。
帰りに捕まえたタクシーの運転手に「(中国人ではなく)日本人です」と伝えると、えらく喜んでいました。「トヨタ車は最高だ!」みたいなことを連呼していました。
再び宿に戻り、今夜の同居人のドイツ人やイスラエル人、カナダ人と挨拶。中庭で談笑しました。
話が落ち着いたところで「明日の準備でも…」とバッグをチェックすると…無い!ナイ!
南アフリカランドと領収書などを入れていた袋がない!
しかもMP3まで消えている!
…誰かを疑うのも嫌なので、結局誰にも言わず。
ショックは大きく、この夜は落ち着いて眠れませんでした。。
今までいろんな国や場所に行きましたが、このような被害にあったのはこれが最初で最後です(今のところ)。
⑦へつづく。
【地図】