ゴマ鉄丼

ロサンゼルスから1年半ぶりに帰国した33歳男のブログです。趣味は一人旅で、思い入れが強いのはロサンゼルスとアフリカ。初心者ブロガーですが、観光地ではないディープでブラックなロサンゼルスや、これまでの旅の思い出を振り返ったりしていきます。みなさんの旅のヒントになれば本望です。

【東アフリカ㉑】最終日にひと悶着 職務質問を受ける(ダル・エス・サラーム→)

最終日の朝は7:30AMに起床。シャワーを浴びて朝食をゆっくり取りました。

昨日チェックイン時に宿泊費を払わなかったので、USD30を両替し、支払ってチェックアウト。

宿でバックパックを預かってもらい、最終日の午前中もカリアコー地区を歩きます。

 

ごちゃごちゃしたところを歩いていると、少年がいきなり僕のほうに向かって「アチョー!」とかかってきました。僕がびっくりしていると、周りの人たちが一緒になってケラケラ笑っています。かなり腹が立ちました。

 

イライラしたので、アブラにこのことを話しました。

「Take it easy。彼らの多くは学校へ行っていないし、被害者はアジア人だけじゃない。ムズング(外国人)や白人のことも言うし、アフリカはジャングルなんだよ」

「でもおれら日本人は、あんな風にパブリックでからかったりはしない」

「これがアフリカだよ。自分をコントロールしろ」

 

11AM。2時間後に落ち合おう、ということでアブラと別れました。

ほとぼりも冷めぬまま歩いていたら、突然変な男(身なりはしっかりしている)に話しかけられました。警官のようです。

「パスポートを見せろ。聞きたいことがある」

 

僕は最初疑いました。アブラの「警察も腐っているよ」という言葉を覚えていたし、50カ国歩いてきて、こんなことは初めてだったから。

 

「お前は数日前からカリアコーで何度も見かけている。ここで何をしているんだ」と言われました。「お前なんか知るか。こっちはムシャクシャしてるんだ」と思い、無視していたら手錠を見せられました。

ギョッとする僕。でも何も悪いことをしていないので、指示通りパスポートとビザを見せました。

日本での勤務先や仕事内容、滞在理由も伝えました。

タンザニアは初めてで、カリアコー地区を歩いていたのはアブラのおかげであること。

この警官はインターネットカフェにまでついてきて、仲間の警官も駆けつけました。

 

航空券も見せて今日帰国することを主張しました。

そのうち疑いが晴れたようで、一言の詫びもなく去っていきました。

 

相当ムシャクシャしていましたが、旅の最終日だしせめておいしいものを食べようと思い、レストランに入りました。

救われたのは、相席した女の子に「旅行で来たんだ」と話した時、「You are welcome again.」と言われたこと。

 

アブラと合流後、警官のことを話すと同情してくれました。

さすがにもうカリアコーへ近づきたくないなぁと思いました。

 

渋滞が酷くなる前に空港へ向かいます。

最後はアブラに色々僕のものをあげました。タンザニア到着日に出会い、結局最終日も一緒でした。話も合うし、聞きたいことも聞けました。

 

「アフリカをひとつの国のように思わず、各国に注目してほしい」と言っていました。それはそうだよなぁ。

 

今回の旅はとにかくハプニングが多かったですが、いろんな人のおかげで無事に帰国できることになりました。

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【東アフリカ⑳】帰国前夜 友人と再々会する(ダル・エス・サラーム)

ダル・エス・サラームのフェリー乗り場に着いたのは6PM。

期待していなかったのに、ここでもアブラが待っていてくれました。

 

今夜の寝床はどうしようかなと考えましたが、最後の夜だしカリアコーに泊まることに決めました。

前回とは違うホテルへ。テレビはつかないわエアコンは動かないわで残念な部屋でしたが、なぜかこのときは「まぁいいか」でチェックイン。 

 

初日に行ったSummy'sというレストランで晩御飯を食べることに。

 

アブラとはスパイスツアーの感想や奴隷貿易について話しました。

タクシー運転手のオジサンが主張していた、ザンジバル王国の独立については「産業が無いし、本島から色んなものを輸入しているんじゃ無理だ」と話していました。

その他沖縄やモザンビークのことも話し合いました。

 

教養があるし、アブラと話すのは面白い。

アブラは常にサンダルなので、僕は今回の旅で履いていた靴を彼にあげることにしました。

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明日は最終日。いよいよ帰国です。

㉑へつづく。

 

【地図】

 

【東アフリカ⑲】世界遺産ストーンタウンを散策後 ザンジバルを「出国」(→ダル・エス・サラーム)

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8AM。アラームの音で目覚めました。

 

眠い目をこすりながら身支度を始めます。昨日と打って変わって、外はすでに暑そう。

9AM。フロントへ。ここで、2日前に僕をフェリーターミナルからホテルまで運んでくれたドライバーへ電話をしてもらい、10AMに来てもらうことになりました。

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今朝の朝食は人がとても少なく、10人程度しかいませんでした。プールサイド、パラソルの下で食べていたらいきなりのシャワー。結構強いので、雨宿りを兼ねてゆっくり食べていたらいつの間にか9:40AMになり、慌てて部屋に戻りました。

 

要らない服やモノを捨ててからチェックアウト。やはり高級リゾートには場違いのバックパッカーだからか、最後はなんとなくぞんざいに扱われた気がします。

 

で、タクシーのオジサンと再会。またUSD20でいいと言ってくれたのでOK。

道中はザンジバルの歴史や現状を話してくれました。オジサンを含む大勢の人が「ザンジバル人として独立したい」と考えているそうです。

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ザンジバル・タウンへ着くと、ネズミ捕りの警官に「シートベルトをしていない」という理由でオジサンは免許証を取り上げられてしまいました。

 

僕は2日前の件でフェリーチケットを事務所でピックアップ。その後、タクシーのオジサンのお父さんが世界遺産ザンジバルを案内してくれることに。

バックパックはタクシーの中に置かせてもらったので身軽です。 

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寡黙なお父さんとともにゆっくり町へと入っていきます。

 

「ストーンタウン」と呼ばれるこの町全体が世界遺産のよう。迷路のような道とそこを走るバイク、石と泥でできた壁…イエメンのシバームという町を思い出しました。

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小さなお店でハガキを3枚買ってから、マーケットを歩きました。僕は市場を歩くのが好きで、鮮魚コーナーではサメが売られていて驚きました。

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お父さんが案内してくれたのは奴隷が閉じ込められていたという教会。これはアブラも言っていたのですが、西に比べて東アフリカの奴隷貿易についてあまりに知られてなさすぎると思います。東側で捕獲された黒人たちは、中東へ売られていったのです。

 

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また、ザンジバルには「からゆきさん」と呼ばれた日本人娼婦が住んでいた建物が残っています。19世紀後半に最も多くの女性たちが遠くザンジバルまで来ていたようです。

 

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12:30PM。郵便局へ着いたのでハガキを投かん。その後はお土産を物色しました。

 

暑さで疲れてきたのでフェリーターミナルへ戻ることに。出航時間の3PMまで時間があったのでインターネットカフェへ。メールチェック&帰りのカタール航空便のeチケットをプリントアウトしました。

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オジサンとお父さんに謝礼をした後、ザンジバルを「出国」。

 

行きの便と違って白人バックパッカーがチラホラ。船内ではエアコンが効いていた特等席を確保。でも2時間の間、波が強い&海が荒れて少しグロッキーになりました。 

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6PM。三度ダル・エス・サラームへ帰ってきました。

僕の旅も終わりが見えてきました。

 

⑳へつづく。

 

【地図】

 

【東アフリカ⑱】プールサイドでのんびり リゾートを謳歌する(ザンジバル)

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よく眠れました。

寝相が悪く、朝起きるとあり得ない方向に頭と枕があり、自分でもびっくりしました。。

 

ベッドでごろごろするも、8AMの目覚まし時計で半ばしかたなしに起床。外はあいにくの雨模様で、シャワーを浴びてから朝食を取りにロビーへ向かいました。

 

チーズ、ソーセージ、パンなどコンチネンタルな朝食後、部屋に戻ります。

今日は終日一人でリゾートを満喫しようと思っていたのに、天気が悪いなぁ。

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数時間後、雨があがったので曇り空ながらプールサイドへ。

雨が降っては部屋に戻り、日差しが出たらプールサイドへ、というのを一人繰り返していたら、ようやく太陽が出てきました。瞬く間に強烈な日差しとなり、水に漬かりたいと思うほど暖かくなったのでプールに入りました。

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バックパック旅行でプールに入った記憶はなく、おそらく初めてだと思います。

 

とにかくのんびり過ごそうと決めた一日なので、プールサイドチキンバーガーを注文し、横になりながらいただきました。うーんぜいたく。

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とは言いつつ、自分の中で今回の旅を振り返ってみました。とにかく今回もいろいろ考えさせられました。とくにこれからの自分について。それはアブラやウェネと話したからだけでなく、テレビや本からもそう思いました。

 

たまたまこの日に観たテレビでは、僕が高校時代を過ごしたアメリカの町の出身の少女が娼婦となり、14歳からストリートに出ていました。「未来がない」と嘆く少女。それでも、他人ではなく自分でしか自分を変えられないんだ、と司会者が言っていました。

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明日は喧噪のダル・エス・サラームに戻り、明後日には帰路につきます。

 

⑲へつづく。

 

【地図】※滞在したホテル(Sea Cliff Resort & Spa)です

 

【東アフリカ⑰】パスポートを提示して入島 スパイスツアーを謳歌する(ザンジバル)

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ザンジバル(Zanzibar)はインド洋に浮かぶ島です。沖縄本島と同じくらいの大きさで、タンザニアの一部ではありますが、強い自治権を持っており、入島時はパスポートが必要です。美しいビーチや海、オールドタウンには世界遺産までがあり、一大観光地です。

 

リゾートとしても知られるザンジバル。フェリーの乗客はこれまでと打って変わって人種のるつぼです。黒人、インド系、白人、中国人、イスラム教徒etc。

 

小雨が降るザンジバルに着いたのは、ダル・エス・サラームのフェリー乗り場を出た2時間後。パスポートを持ってイミグレーションを通過します。僕の滞在予定のホテルを見たイミグレのオジサンが、「タクシーで行くといいよ」と勧めてくれました。

 

USD20で運んでくれるならOK。優しそうな運転手が現れました。

中心地のザンジバルタウンは意外と汚くごちゃごちゃしています。

この島では多種多様のスパイスが採れるとのことで、「Spice Tour」を勧められました。

早くベッドで眠りたかったですが、せっかくなのでお願いすることに。

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島内はいたるところにパームツリーがそびえ立ち、リゾート気分を盛り上げてくれます。北に位置するメンバ島と合わせて約150万人が暮らしており、独自の大統領もいるそうです。

 

 ザンジバル島では各家庭でスパイスを栽培していて、一軒の家で案内してもらうことになりました。

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バナナ、バニラ、ペッパー、レモングラス、シナモン、パイナップル、トウガラシ、ヤシ、ライチ、ドリアン…案内役の若い男性はそれぞれの特徴をよく知っていて、どの病気にはどれが有効かも熟知していました。とても解り易い説明で大満足。

お土産を買い、ココナッツジュースを飲んだ後に実を食べました。

ペッパーは本当に辛かったし、良い思い出になりました。

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その後、何もない道をひたすら走り、一路ホテルへ。そういえば運転手が、「最近イタリア人が増えたんだよ。皆マフィアじゃないかと心配しているんだ」と話していました。

 

到着したホテルは本格リゾートホテル。今回はハラレのホテルと違い予約ができておりひと安心。部屋は広くないけど清潔&快適。ウェルカムドリンクを飲み休憩します。

 

2時間ほど眠ってから敷地内を散歩します。時期のせいなのか、宿泊客が非常に少なくプライベート感覚でラッキー。プールもキレイで、サンセットを写真に収めました。

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長い時間食事をしていなかったことに気がつくと、急にお腹が空いてきました。ルームサービスを頼もうと電話を試みるも繋がりません。部屋を出てセキュリティの人に訊き、結局フロントへ行くことに。結局プールサイドでビュッフェをいただきました。

 

横で白人の団体がイベントをやっていたので見ていると、どうやら南アフリカから社員旅行で来た人たちのようでした。今夜が最終日のようで、僕は「明日は静かに過ごせそうだな」なんて考えていました。

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バックパックを背負った旅行者が泊まるような場所ではないことは明らかですが、これまでの疲れを取るにはおあつらえ向きのリゾートです。

 

明日は終日ホテルでのんびり過ごすつもりです。

⑱へつづく。 

 

【地図】

 

【東アフリカ⑯】深夜に降り立った空港で 友人との再会を喜ぶ (→ダル・エス・サラーム→)

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結局飛行機がルサカ空港を離陸したのは、僕が空港に着いた12時間後の0:07AMでした。

もう20時間起きているし、疲れていたので寝ることに。

あっという間に寝てしまったようで、目覚めると目の前に機内食が置かれる瞬間でした。

食後、また寝ることにしましたが首が固定されません。さらに、気圧の変化のせいだと思われますが、眉間に大きな痛みを感じることがありました。ストレスが溜まるなぁ。

 

旅の初日以来のダル・エス・サラーム空港に戻ってきたのは、3:15AM。

お決まりのUSD50を支払ってシングルビザを購入しました。

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バックパックとハラレ以来の再会を果たしひと安心。

太陽が出てくるまでの2、3時間をどう過ごそうか考えていたら、ゲートの向こうで僕に向かって手を振る人が見えます。

「ア、アブラだ!」嬉しくなってハグをしました。連絡を取り合っていたわけではないのに、空港で僕の帰りを待っていてくれたようです。こんな時間まで。信じられませんでした。

 

再会を喜び、タクシーで市内へ向かいます。カリアコー地区で朝が来るまで過ごすことにしました。ここで二度目のサプライズ。なんとルサカ→ハラレまで僕を運んでくれたバスが、旅を終えタンザニアに戻っていました。ナンバープレートも当然同じです。

 

荷物を置いてアブラと話していましたが、しばらくすると僕はトイレに行きたくなり、アブラの生家のを借りることに。一瞬市民の生活を垣間見られましたが、やはり生活は厳しそうです。路上で寝ている人も珍しくありません。

 

僕はこれからザンジバル(Zanzibar)へ行くので、明るくなってきた頃、フェリー乗り場へ歩き始めました。タンザニアの朝は早いようで、街に少しずつ活気が出てきました。裕福なインド系の子どもはバスで学校へ行くようです。

 

アブラはとてもしっかりしていて、自分の考えも持っている男でした。教養があり、ただ「金がなくもがいているんだ」と何度も言っていました。

 

フェリー乗り場着。7AM発のチケットを7AMに購入していたら、乗船予定のフェリーのオジサンが走ってやってきて「早くしろ!」と急かしてきました。一応走って後を追うと、どうやら僕が最後の乗客だったよう。「時間に緩いアフリカだし、どうせ定刻には出発しないでしょ」という僕の浅はかな考えは間違っていました。

 

で、乗船時。オジサンが帰りのチケットを含む2枚を切ったので、「何をするんだ」と抗議しました。強気なオジサンは「(船の)中で話す」と言うのでついていくことに。たしかにチケットは2枚とも同じ日付。さっき購入したチケット屋のオジサンが間違えたようですが、念のため電話をかけていました。確認後、一応詫びてきたので仲直り。明後日、ザンジバルのオフィスでチケットを受け取ることになりました。

 

ここでやっと冷静になる僕。「あー!アブラにちゃんと挨拶できなかった…」

やってしまいました。。

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さて、僕は2等のチケットを購入したのですが、どさくさに紛れて乗り込んだので1等にいます。冷房が効いて気持ちがいい~。とにかく心身ともに疲弊しているので目を閉じて寝ようとしますが、ドアの隣で音がうるさい。眠れません。

 

ああ、早くザンジバルのリゾートでリラックスしたい。

 

⑰へつづく。

 

【地図】※フェリー乗り場です

 

 

【東アフリカ⑮】搭乗予定機が遅延 ルサカ空港で立ち往生する(ルサカ→)

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12PM過ぎ。ジンバブエのハラレ空港からルサカ空港(Kenneth Kaunda International Airport)に降り立った僕。滑走路を歩いてターミナルへ向かいます。

 

入国はしませんが、念のため入国カードを記入しておきました。

滑走路にダル・エス・サラーム行きっぽいザンベジ航空機が無かったので気になっていましたが、同社のオフィスへ行くと…出発時刻は9:50PMだとか!

 

ガーン。今から10時間後!空港からは出られない。おまけにタンザニア入国は深夜。僕の貴重な一日を返してくれ。。

 

なぜか出発のボードには「カイロ経由ダル・エス・サラーム行き」と書かれていました。まぁこれは書き間違えだったようですが。

 

同じ境遇の人がチラホラいて、彼らとともに無料のランチが提供されました。チキンとポテト。それにしても面白くない。眠いし、旅程は狂うし一体なんなんだ。

 

少し経って「なるようにしかならないか」と冷静になり、空港内を散策し始めました。Bank of Chinaこと中国銀行の看板を発見。中国人も見かけました。実際は20人近い中国人が外でタバコを吸っていたようで、後で外に出てみたらゴミだらけになっていました。。

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トイレに入ると「HIV/AIDSにご注意」のポスターを発見。アフリカでは、南でも西でも東でも街中そこここでこういう看板を見かけました。

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とにかく暇、ひま、ヒマ。しかも出発予定時間が11:15PMにずれたという噂が。

念のためオフィスで確認します。怒り狂う人たちにボロクソ言われているだろうし、僕は優しく聞いてあげました。

ちなみにこのとき、ハラレから一緒だった黒人男性が、「これだからアフリカの印象が悪くなるんだ」と言っていたのが印象的でした。

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11:15PMに離陸したとしたら、ダル・エス・サラームには何時に着くんだろう。夜が明けるまでどうしようかな。今朝は3AM起きでコンタクトもつけっぱなしです。

 

7PM。白人が増え始めました。中国人の団体とは別鼓動の、一人でいる若い中国人風の男性がいました。

 

ようやく出発予定時刻の2時間前となり、空港使用税を支払いセキュリティを抜けてチェックイン。

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インド人が経営する免税店/土産店でお土産を物色します。ここが充実していてUSD60分のお土産を購入しました。

 

まだ時間があったので、先ほどの中国人風の男性に話しかけてみました。北京出身のダニエル。ダル・エス・サラームを拠点とするビジネスマンで、ザンビアは初めてだそう。英語がうまく、愛想も良いのでそのまま話すことに。

 

せっかくなので色々訊いてみました。ビザのこと(南アフリカ入国には中国人も要ビザとのこと)、世界中に散らばる中国人のこと、北京での暮らし、アフリカに対して。

ちなみに中国人の彼も、現地で「チナ」とか「チャイナ」とか言われるのは嫌だそうです。

 

出発予定時間の11:15PMになりました。でもまだ機内に入れません。

 

⑯へつづく。

 

【地図】