【東アフリカ⑲】世界遺産ストーンタウンを散策後 ザンジバルを「出国」(→ダル・エス・サラーム)
8AM。アラームの音で目覚めました。
眠い目をこすりながら身支度を始めます。昨日と打って変わって、外はすでに暑そう。
9AM。フロントへ。ここで、2日前に僕をフェリーターミナルからホテルまで運んでくれたドライバーへ電話をしてもらい、10AMに来てもらうことになりました。
今朝の朝食は人がとても少なく、10人程度しかいませんでした。プールサイド、パラソルの下で食べていたらいきなりのシャワー。結構強いので、雨宿りを兼ねてゆっくり食べていたらいつの間にか9:40AMになり、慌てて部屋に戻りました。
要らない服やモノを捨ててからチェックアウト。やはり高級リゾートには場違いのバックパッカーだからか、最後はなんとなくぞんざいに扱われた気がします。
で、タクシーのオジサンと再会。またUSD20でいいと言ってくれたのでOK。
道中はザンジバルの歴史や現状を話してくれました。オジサンを含む大勢の人が「ザンジバル人として独立したい」と考えているそうです。
ザンジバル・タウンへ着くと、ネズミ捕りの警官に「シートベルトをしていない」という理由でオジサンは免許証を取り上げられてしまいました。
僕は2日前の件でフェリーチケットを事務所でピックアップ。その後、タクシーのオジサンのお父さんが世界遺産・ザンジバルを案内してくれることに。
バックパックはタクシーの中に置かせてもらったので身軽です。
寡黙なお父さんとともにゆっくり町へと入っていきます。
「ストーンタウン」と呼ばれるこの町全体が世界遺産のよう。迷路のような道とそこを走るバイク、石と泥でできた壁…イエメンのシバームという町を思い出しました。
小さなお店でハガキを3枚買ってから、マーケットを歩きました。僕は市場を歩くのが好きで、鮮魚コーナーではサメが売られていて驚きました。
お父さんが案内してくれたのは奴隷が閉じ込められていたという教会。これはアブラも言っていたのですが、西に比べて東アフリカの奴隷貿易についてあまりに知られてなさすぎると思います。東側で捕獲された黒人たちは、中東へ売られていったのです。
また、ザンジバルには「からゆきさん」と呼ばれた日本人娼婦が住んでいた建物が残っています。19世紀後半に最も多くの女性たちが遠くザンジバルまで来ていたようです。
12:30PM。郵便局へ着いたのでハガキを投かん。その後はお土産を物色しました。
暑さで疲れてきたのでフェリーターミナルへ戻ることに。出航時間の3PMまで時間があったのでインターネットカフェへ。メールチェック&帰りのカタール航空便のeチケットをプリントアウトしました。
オジサンとお父さんに謝礼をした後、ザンジバルを「出国」。
行きの便と違って白人バックパッカーがチラホラ。船内ではエアコンが効いていた特等席を確保。でも2時間の間、波が強い&海が荒れて少しグロッキーになりました。
6PM。三度ダル・エス・サラームへ帰ってきました。
僕の旅も終わりが見えてきました。
⑳へつづく。
【地図】