ゴマ鉄丼

ロサンゼルスから1年半ぶりに帰国した33歳男のブログです。趣味は一人旅で、思い入れが強いのはロサンゼルスとアフリカ。初心者ブロガーですが、観光地ではないディープでブラックなロサンゼルスや、これまでの旅の思い出を振り返ったりしていきます。みなさんの旅のヒントになれば本望です。

【西アフリカ⑥】国境を越えてトーゴへ 袖の下を要求され閉口する(ロメ)

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早朝4時に起床し、シャワーを浴びて5時にチェックアウト。

外は真っ暗ですが、タクシーは走っている様子。一台目をやり過ごして、二台目に乗り込みました。

 

陸路で国境を越え、そのままトーゴの首都ロメ(Lome)を目指します。

国境の町までは、昨日まで使ったSTCではなくトロトロと呼ばれる乗り合いタクシーで向かいます。

バス停?は混沌としているところでした。僕を含めた10人を乗せたトロトロは、ひたすら西へ走ります。途中、フリーウェイのような舗装された道もありましたが、郊外へ出れば赤土の凸凹道がほとんどでした。

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9時。国境に到着。闇両替屋でCFA(セーファーフラン)を買います。

出国手続きで賄賂を要求されました。分からないフリをしてとぼけてやり過ごすも、問題はそのあとでした。

 

日本人はトーゴ入国時ビザが必要ですが、国境でも取得可能です。そのため僕はその場で購入したのですが、僕のバックパックを調べる女性や、記帳に書き込むだけの男性からも賄賂を要求されました。さすがに頭にきて、「レシートをくれ」というと、「嫌ならガーナに戻れ」の一点張り。政府の人間とは思えない言動ですが、ここではどう考えても僕のほうが不利なので、投げるように賄賂をくれてやりました。

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入国後、CFA200でホテルまで送ってくれたバイクタクシーも到着したとたんに「CFA2000だ」と言ってくるし。。その半分を渡してさっさとチェックイン。

 

ファンがCFA8000でエアコン付きはCFA15000。後者にしました。

なんだか国境のやりとりで疲れてしまい、一休み。ベッドで横になりながら、「ここまでの旅は人を含めていい感じだったので、残念だなぁ」と思いました。

 

気分を変えて町歩き。国境から首都ロメはすぐ近くです。

とにかくバイクが多い。そしてパームツリーが多く、延々と続くビーチもキレイ。

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トボトボと一人で歩いていると、バイクの兄ちゃんに呼び止められました。

 

トーゴはフランス語圏の国ですが、この人は英語を話しました。どうやらホテルの人で、僕の顔を覚えていたのでしょう。この兄ちゃんと話せたことで、幾分気分が落ち着きました。

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雑談後、市内の銀行へ。フランス語圏のトーゴは米ドルよりもユーロが強いのです。

最初の銀行で両替を断られ、次に行った銀行では「少額のユーロは受け取れないわ」と笑顔で言われました。

 

この日は東京で一度お会いしたトーゴ大使館職員のスティーブさんとアポがあったので、約束の場所へ歩いて向かいます。

 

⑦へつづく。

 

【地図】※国境の町アフラオです

 

【西アフリカ⑤】W杯をPV観戦! サッカーガーナ代表を応援する

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アクラに帰るバスでは、一番後ろを陣取って外の景色を眺めます。

エンジンの上なのか、とにかく暑い。。どおりで周りに誰も座っていない訳だ。

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首都に戻ってきたのは14時。明日は隣国トーゴへ移動するので、国境の町アフラオ(Aflao)までのバスチケットが欲しいとカウンターで告げるも、場所が違うと言われました。

仕方無いので大きな荷物を背負って歩き出します。「これで襲われたらアウトだなぁ」なんて思っていましたが、予想以上に人々は僕の存在を気にも留めない様子。

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面白いもので、ジロジロ見てくる都市や国では本当に視線をジンジンと感じるのですが、空気のように扱ってくれるところは本当に誰とも目が合わないくらいでとても気が楽です。よい意味で予想を裏切られたのはバングラデシュでした。ここアクラもそんな感じでした。

 

30分程アクラ市内を歩いて、たどり着いたのはLonely Planet掲載のホテル。でも一泊USD90と言われ、諦めてタクシーで移動しました。

僕が来たのはオス(Osu)というエリア。ここは少し洗練された地区で、他の地区に比べて若干ツーリストが多いとのこと。敢えて言うならバンコクのカオサンロードのような。

 

僕がチェックインしたホテル。この日は国連の人が多く泊まっているようで、「あなたもUNの人なの?」とフロントの人に訊かれました。

 

ここで朗報!この夜はW杯ガーナvsウルグアイがあったのですが、パブリック・ビューイングをすぐ近くでやると教えてもらいました。

 

荷物を降ろしてKOALA SUPERMARKETというスーパーへ。今回の旅で初めて大型スーパーへ入りました。オレンジを5個購入。ホテルに戻る途中、中華料理屋でヌードルとフライドライスを注文しました。なかなかおいしかったです。

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キックオフ時間はガーナ時間18時半。かなりの人だかりができていましたが、かまわずグイグイ中へ入り場所を確保します。

 

いよいよ試合が大型スクリーンに映し出され、選手入場のシーンでは会場の誰もが大興奮!

地元のテレビ局やDJまで来てムードは◎。

「ブラックスターズ」ことガーナ代表の即席応援団です。

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前半はウルグアイペースで、開始45分でコーナーキックが6本もありました。

しかし前半ロスタイムにムンタリミドルシュートが突き刺さり先制!皆ハイタッチしたり、ジャンプして大喜び。

 

しかし後半、セレッソ大阪にも在籍しこの大会で得点王になった、ウルグアイフォルランに同点フリーキックを浴びて会場が静寂に包まれました。

 

結局試合は延長戦へ。延長後半の最後、ガーナの決定機をウルグアイ代表選手がハンドでPKを獲得!最高に盛り上がりますが、キッカーのギャンがクロスバーに当ててしまいゲーム終了。

 

会場は落胆のムードに包まれ、その後のPK戦では、ガーナの5人目から立て続けに3人が失敗。ウルグアイの選手が最後にしっかりと沈めて試合終了。

 

皆会場を去り始めます。

あー残念。僕も心底ガッカリしながらホテルに戻りました。

 

明日は国境越え。トーゴを目指します。

⑥へつづく。

 

【地図】

 

 

 

【西アフリカ④】オバマ大統領夫妻も訪れた もうひとつの「城」へ(ケープコースト→アクラ)

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朝起きて洗面所へ行くと水が流れたので、昨夜の汚れを落としました。

 

テレビから流れてくるサッカーW杯のハイライト映像。"Black Stars"ことガーナ代表はグループリーグを突破し、今夜ウルグアイ代表とベスト8をかけて激突します。

 

今日は歩いて行けるケープコースト城(Cape Coast Castle)を見学後、首都アクラに戻ります。

 

朝食はホテルでトーストを注文。30分後、料理が運ばれてきました。小さなウェイターの女の子に名前を聞かれます。ガーナ人からよく名前を聞かれますが、日本ではそこにたどり着くまでなかなか時間がかかりますよね。。

 

チェックアウト後、9時オープンだというケープコースト城に到着。

入ろうとしたら怒られました。5分ほど待ち、白人4人組につづいて入城します。

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この城もやはり前日のエルミナ城同様、悲しい悲しい歴史が詰まっています。

オバマ大統領夫妻も前年に訪れています。

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中はあまく広くありません。少し歩くと、2階部分に博物館を発見。

写真を撮っていたら、中でやはり見学をしていた軍人のような人たちに忠告されました。

でも「誰も見ていないときにこっそり撮れ」と耳打ちされました。

自分たちはパシャパシャ撮っているくせに。。

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彼らのパネルや展示物を見た後の反応を見ていましたが、どちらかというとニヤニヤしている人が多かったのが印象的でした。

 

今日はこの後バスに乗り首都アクラに戻る予定です。

なので入口のお姉さんに「帰るよ」と告げると、「これからツアーが始まるわよ」と言われ「ではぜひ」となりました。

 

比較的分かりやすい英語を話すエリック氏の案内で、まずはMale's Dangeonという奴隷たちが大勢閉じ込められていたという蔵に入ります。

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小さな通気口と白人が監視する窓があるくらいで、息苦しかったです。

 

ここにもありました。"Door of No Return"。

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城の周囲は荒波で、大きな船が近づくことができません。

そのため、奴隷たちはまず小さな船に乗せられ、その大きな船へ移動させられます。

しかし、奴隷たちは全身を鎖で繋がれており、一人が海へ落ちると他の奴隷も自動的に海へ落とされるのです。

 

ツアーの最後。軍人の一人がエリック氏に質問します。「何事にもポジティブな面とネガティブな面があると思う。後者は分かった。では、奴隷の歴史でポジティブな面を挙げるとすればそれは何か?」エリック氏は少し考えて、「キリスト教、教育、政府、裁判所、英語を得られたことではなかろうか」と答えました。

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13時。アクラ行きのバスに乗り込みました。

 

⑤へつづく。

 

【地図】※ケープコースト城です

 

 

【西アフリカ③】"Door of No Return" 奴隷貿易で「活躍」した城へ(ケープコースト)

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時差ぼけであまり眠れず、3時頃からダラダラベッドの上で過ごしました。

 

早朝6時、チェックアウト前にオーナーと少し話しました。「どうして一人旅をしているんだ?」と訊かれたので「誰かと一緒に旅行していたらローカルと話す機会が少なくなると思うんです」と答えたら「なるほど」と言われました。

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タクシーを捕まえ、昨日チケットを購入したバスターミナルへ。

ガーナでは中距離以上のバスに乗る前は荷物の軽量があり、重さによっては追加でお金を徴収されます。僕のバックパックは9kgで支払いは無し。

 

バスターミナルで外国人は僕だけだったらしく、珍しかったのかいろんな人と目が合います。みんな「ハロー」と言ってくれたのでうれしくなりました。

 

7時半、バスは西に向けて出発。舗装・未舗装の道を進みます。バスは快適とは言えませんでしたが、3時間乗って280円なら何の文句も言えません。エアコンもついているし。

この日はパブリック・デーだったらしく、子供たちがたくさん乗っていました。

 

11時。ケープコースト(Cape Coast)に到着します。

今日の僕の目的地はここからさらに少し西にあるエルミナ(Elmina)。とりあえず安宿にチェックインしました。

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タクシーで移動しエルミナへ。

心なしかここの町の人たちは僕のことをニヤニヤしながら見てきた気がします。

 

「お腹が空いた」と告げると、このタクシー運転手・モハメドがシーフードの店に連れて行ってくれました。40分後、シーフードと野菜が運ばれてきます。

 

エルミナの町は混沌としていて、写真が撮りづらい。

 

観光客相手に商売をしている輩が近づいてきて僕の名前を聞いてきます。セント・ジョージ城/エルミナ城(St. George's Castle/Elmina Castle)という城から出てきた後に名前を彫ったお土産を買わせるやり方だそう。モハメドが事前に忠告してくれたので、僕は「要らないよ」と告げておきました。

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このセント・ジョージ城は15世紀にポルトガルが築いたもので、古くは「城」の役割をしていました。それが後年、アフリカ各地で捕まえた黒人を奴隷船でアメリカ大陸に送り出す直前まで閉じ込めておく場所として使われることになりました。

 

何十万ひょっとしたら何百万人という奴隷が何年、何十年にもわたりここからアメリカ大陸へ運ばれていったのでしょう。そう考えると、やはり気分が暗くなります。

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ちょうどツアーが始まるところだったので混ざりました。

当時の写真は当然ありませんが、せめて絵・イラストがあればいいのにと思いながら見学します。

奴隷たちが「最後に見た祖国の地の景色」として語り継がれているDoor of No Returnの写真を撮っていたら、ツアーとはぐれてしまいました。

なので、その後は一人で歩き回りました。

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 黒人観光客が笑顔で写真を撮っていたのが印象的でした。

 

しばらく城にいた後、モハメドと再会します。

帰り道、せっかくなので彼に色々質問をしてみました。「奴隷は(過去のことだし)仕方がない。前を見るべきだ」「(中国人の台頭については)安い中国製品が入ってきてうれしい」「(アフリカ初のW杯は)南アフリカと距離は離れているけどうれしい」「アフリカの国はどこも愛着がある。でもナイジェリア人だけは嫌いだ」どうやら嘘つきが多いそうです。。

 

そういえば、南アフリカで見かけた「Vodafoneの家」がガーナにもありました。

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ガーナでは英語が共通語として話されているので、広告も英語が多いんです。

とくにメッセージ的なものが多くて、「My Daddy is a Super Daddy.」とか「貯蓄をしよう」「アフリカにプライドを持とう」など。ACのようなものではなく、企業の広告にこのようなメッセージが付いています。

 

国民全員が英語を話すわけではありません。それでもテレビ、新聞などメディアはすべて英語です。インドみたい。

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ケープコーストに戻った後は、町を歩きます。鍵屋、床屋、パスポートコピー屋なんてのもありました。それにしても食堂がまったくありません。

 

水を買ってホテルに戻ったところで土砂降り。ホテル併設のレストランで食べることにしました。

チキンフライドライスとベジタブルを注文したら、お姉さんに「ベジタブルにチキンを入れてライス付きでいいかしら」と言われ、OKしました。

やはり30分ほど待ちましたが、とてもおいしかったです。

 

部屋に戻ってテレビを観ていたら眠ってしまい、23時頃目覚めました。シャワーを浴びて、シャンプー後体を洗ったところで水が出なくなりました。

 

全く出ないので、あきらめて泡だらけの体をバスタオルでしっかり拭き取りました。

それでもなんだか気持ちが悪い。。明日の朝もう一度シャワーを浴びよう。

 

④へつづく。

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【地図】※ケープコーストの西、エルミナ城です

 

【西アフリカ②】ガーナの地で最期を迎えた 野口英世博士の銅像を訪ねる(アクラ)

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250ドルを空港内で両替した僕は、いよいよ空港の外へ出ます。

アクラのむわ~とした初夏?の風をいっぱいに浴びたところでタクシーを捕まえます。

 

ガーナの公用語は英語ですし、ちょうど南アフリカW杯でガーナ代表が快進撃中だったので、その話題を振ると嬉しそう。愛想はいいのですが、あまり話しかけてこないし少し控えめな人が多いのかな?と個人的には好印象を受けました。

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窓を開けると、気温は高くなさそうですが湿気を帯びた風は汗をかくのに十分。渋滞に巻き込まれながら着いたのは、事前に予約しておいたビーチ前の中級ホテル(65ドル)。

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Afia Beach Hotel(http://www.afiavillage.com/)はLonely Planetに載っていて評価が良かったのですが、オーシャンフロント&パームツリーに囲まれた中のコテージで雰囲気は◎。

テレビ、冷蔵庫、クーラー、蚊帳付きで、僕にはもったいないくらいの設備がそろいます。

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重たいバックパックを降ろしたあとは、ビーチを歩いてからそのままIndependent Squareという場所を目指します。

物売りのお兄さんに「逆だ」と言われてから、「やっぱり明日のバスのチケットを買おう」とSTCバスターミナルを目指しせっせと歩き続けます。

 

街中を歩いてもからかいの言葉を浴びることなく、タクシーも僕に向けてクラクションを鳴らすだけで、まったくしつこくありません。

それでも目的地まで遠いのは分かっていたので、途中でタクシーを拾いました。

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バスターミナルに到着し、明朝7時半のケープコースト(Cape Coast)行きのチケットを購入します。

運転手さんにはそのまま待機してもらっていたので、そのまま野口英世博士の博物館へ移動します。

病院の中は広く、「どこで降りるんだ?」と聞かれ「Dr.ヒデヨ・ノグチの像まで行きたいんです」と告げると、車を降りてセキュリティに聞いてきてくれました。

 

僕が帽子を取ってお礼を告げると、それに応えてくれます。気持ちがいい。

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看板を見つけたので、そのまま入ろうとすると施錠されています。聞けば「Mr.コフィが鍵を持っているよ」とのこと。教えてもらった場所へ行き、女性に尋ねるとわざわざ探しにいってくれました。

 

そばにいた女性に「ガーナの方は優しいですね」と言うと、「私が日本に行ってもきっと同じことをしてくれるわ」と言われました。

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わざわざ来てくれたMr.コフィにお礼を言い、見学。

解りやすいパネルと研究室が再現されています。

寄付金を入れて記帳に名前を書き、外の銅像へ行き写真に収めます。

「忍耐」と書かれた石があったので、近くにいた人に意味を教えてあげました。

「サッカー楽しみですね」と言うとやっぱり嬉しそうでした。

 

ホテルまでの帰り道はやはりタクシーで。「なぜガーナに来たの?」を聞かれ、理由を答え、さらに僕がガーナに知り合いは一人もいないことを話すと、ますます不思議がって首を傾げていました。

 

夕方でまだ明るかったので、ビーチをもう一度散歩。カラフルなユニフォームを着た子どもたちがサッカーの練習をしていました。

僕の存在に気づいたらしく、みんなこっちを見ているので手を挙げて挨拶しました。

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ガーナ初の食事はホテルにて。野菜とライスを注文します。チップはどうしたらいいのかな、と思い聞けば「結構です」とのこと。

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その後、部屋で洗濯を済ませて蚊帳を設置。眠たくなったので就寝しました。

西アフリカの旅、出だしは◎。明日からの旅にも期待が膨らみます。

 

③へつづく

 

【地図】※野口博士の像がある場所です

 

【西アフリカ①】長時間フライトもなんのその ドバイ経由でガーナに降り立つ(アクラ)

僕の西アフリカへの旅は2010年6月末から7月初旬にかけて、約2週間でした。

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羽田→関空→ドバイ→アクラ(ガーナ)と乗り継ぎ、そこから陸路でラゴス(ナイジェリア)を目指します。

帰りはラゴス→ドバイ関空→羽田で、利用航空会社はエミレーツ。たしか計16万円だったと思います。

 

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ちょうど南アフリカW杯開催時期で、僕は日本代表の敗戦を機内で知りました。

エミレーツ航空が途中経過を随時モニターに表示してくれていたのです。

 

早朝ドバイ空港(Dubai International Airport)に着いた僕は、乗り継ぎ便の搭乗時間までターミナルをプラプラします。

明るくなってきた頃、ゲートがオープンしました。黒人以外では白人&中国人がチラホラ。

ただこのエミレーツ航空機はアクラ(ガーナ)経由アビジャンコートジボワール)行き。機内ではフランス語も聞こえてきます。

すでに敗戦を知っていましたが、モニターでW杯日本vsパラグアイの見逃し配信をやっていたので視聴しました。

 

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バイ→アクラのフライト時間は8時間。

正午着予定の当機は、11時頃から徐々に機体を傾け始めました。

モニターで見る限り、僕が2週間弱かけてこれから旅しようとしている区間は、飛行時間自体は40分程度のようです。近いな…

 

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初めての西アフリカ。ガーナの首都アクラは上空から見る限り都会とは呼べないかも。

空港も小さめ。それでも窓の外の赤茶行けた大地を見ていると「アフリカに戻ってきた」とテンションがあがりました。

 

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日本人はガーナ入国時ビザが要りました。僕は東京で事前に取得済みで問題無し。

「本当に小さい空港だなぁ」なんて考えながらバックパックが出てくるのを待っていたら待てど暮らせど出てきません。

女性職員に「もうこれで以上よ」と言われた時は、いよいよ今日の僕のバックパックとの再会を諦めていました。

「短い旅行なのにプラン変更かなぁ」

「アクラにいないと明日受け取れないよな」

エミレーツは大きな会社だし、1日分の生活費くらい出してくれるだろ」

「いや、後日東京にあるエミレーツのオフィスへ行こうか…」

などと本気で考えていたら、ひょっこり僕のバッグパックだけ流れてきました。

 

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あーよかった。

一気に気分が良くなった僕は、元気よく街へ飛び出して行きました。

 

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②へつづく。

 

【地図】※アクラの国際空港です

【西アフリカ・イントロ】人類の負の歴史 西アフリカを訪れる

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南部アフリカを旅した僕は、次に西部アフリカへ行きたくなりました。

理由はいくつかありますが、ざっくりいうと以下の通りです:

 

奴隷貿易の歴史をもっと勉強したい

・ナイジェリアのアフロビートを現地で聴いてみたい

・日本人旅行者が少ない地を歩いてみたい

・ナイジェリア大使館に勤めるナイジェリア人と仲良くなり、興味深くなった

トーゴ大使館に勤めるトーゴ人の友人がちょうど現地にいる

・ガーナで亡くなった野口英世のお墓へ行ってみたい

南アフリカW杯開催中にアフリカにいたい

ベナン出身のゾマホン氏は有名なのか確かめたい

・犯罪都市ラゴスを見てみたい

・悪名高いベナン/ナイジェリアの国境を陸路で越えてみたい

・西アフリカにも中国人が多いらしいので確かめたい

・アフリカのフランス語圏へ行ってみたい

 

僕がこの2週間の旅行で訪れたのは、ガーナ、トーゴベナン、ナイジェリアの4カ国。

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日本から見ると非常に遠く感じますが、今はドバイやドーハ、アブダビなど中東経由で行ける&乗り継ぎ1回だったりするので、意外と時間もかかりません。

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仕事を休んでの訪問であり、駆け足の旅となりましたが、濃く熱いアフリカを感じることができました。

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