ゴマ鉄丼

ロサンゼルスから1年半ぶりに帰国した33歳男のブログです。趣味は一人旅で、思い入れが強いのはロサンゼルスとアフリカ。初心者ブロガーですが、観光地ではないディープでブラックなロサンゼルスや、これまでの旅の思い出を振り返ったりしていきます。みなさんの旅のヒントになれば本望です。

【西アフリカ⑬】袖の下攻撃にウンザリするも 国境を突破する(→ラゴス)

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※写真は僕が履いていた靴です。国境では何が起こるか分からないので、靴の中にUSD100を入れて隠し持っていました。

 

突然ドライバーが「ここで換金しろ」と言うので、左を向くと机が3つ並んでいました。

「ははぁブラックマーケットだ」と思いましたが、他に選択肢は無いし従うことに。の残りのCFA&USD40でナイジェリアの通過ナイラを買いました。

かなりちょろまかされていると思うのですが、状況が状況なだけに言い値で従うしかありませんでした。

 

僕は雨でできた水たまりをジャンプしてかわしながら先を歩く「オカダマン」についていきます。オカダとはバイクのことであり、オカダマンとはつまりバイクタクシーの運転手です。

 

周りから「チャイナチャイナ」とケラケラ笑いながら中国人の物まねをしている輩がたくさんいますが、僕は両替をしたお金を数えたりと、かまっている余裕はありません。

しかもここは完全にアウエーなので笑っておきました。

 

さて、やっとベナン出国の時が来ます。

パスポートを見せると、右手を口に持っていくポーズ…これは賄賂を要求しているサインです。「ちくしょう」と思いながらもN100を掴ませて突破します。

 

次に出国スタンプが必要なので、またN100を見せるとN500といいます。腹が立ちますが仕方がない。怒りをぐっとこらえてお礼を言いました。

いよいよ悪名高いナイジェリア側へ。

 

パスポートを見せると、何かを記入しています。入国に必須だった黄熱病の紙(イエローカード)を見て、「注射を1回していないじゃないか」と入国管理人。

「そんなこと言っても日本のドクターは1回でいいと言っていたぞ」と僕が告げても全く動じません。向こうを指差し「あそこでもう1回注射を打ってこい」とさえいいます。

 

僕はこの人が嘘&適当に言っていると分かっていましたが、立場的に僕が圧倒的に不利です。そこで「どうしたらいい?」と訊けばやはり袖の下。しかもN2000(!)と言うではないですか。

ちなみにこのあたりから、後でドライバーになる男が登場します。

 

次のオヤジのところで入国カードを記入します。ドライバーは僕が昨日予約したホテルを知っているようです。

紙を記入後オヤジに渡します。サインで書いた僕の名前の意味や入国目的を訊かれました。僕は「アフロビートが好きです」と答えましたがその瞬間「しまった」と思いました。なぜならアフロビートの象徴であるフェラ・クティは反政府主義者の象徴だったからです。

 

「…他の目的は?」と訊かれたので、「ナイジェリアを訪れずに西アフリカへ来たと言えないと思います」と答えました。

滞在日数を訊かれたので、Lonely Planetの忠告通り少し多めに告げました。

長いやり取りの最後は、「So what do you have for me?」ときた。

「お前もか」と思いながらも適当に金を渡して、スタンプオヤジのところへ移動します。

まるでファミコンのよう。敵を倒したかと思えば次から次へと新キャラが登場するのです。

 

当然この窓口でも「dash」を要求されました。dashとはナイジェリア英語で袖の下のこと。外国人だけでなく、現地人も払っているようですね。

でもようやくこの国境の呪縛から解放されたのです。

 

ただナイジェリアは一筋縄ではいかないようで…このあともトラブルが続きます。

⑭へつづく。

 

【地図】※ベナン/ナイジェリア国境です

 

 

【西アフリカ⑫】土砂降りの中 ナイジェリア国境を目指す(コトヌー→)

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夜中に目覚め、よく眠ったと思ったら0時でした。

緊張しているのか、寝つきが悪くLonely Planetを読むことに。

3時頃再び寝て、6時頃起床しました。

外が明るくなるのを待ってから身支度。準備ができたところで雨が降り出しましたが、とりあえずチェックアウト。

 

ところが雨は止むどころか強くなる一方。ホテル前で雨宿りしながら45分ほどねばっているところで、あることを思い出しました。

「おとといトーゴから来たとき、通過ビザの有効は48時間だった…まずい」

 

水を一気に飲み干した僕は、強い雨の中バイクタクシーを探します。最初にあたった人とはうまくコミュニケーションがとれず、雨宿りしていた人にCFA400で行ってもらうことに。土砂降りですでに体はびしょ濡れ。風邪をひいてもおかしくないくらいです。

 

Grand Marcheに着き、「ラゴス行きの車はどこですか」と尋ねると「ここで待て」と言われたので、「どうにかしてくれよ」と言いCFA1000握らせると、「乗れ」と言い車を探してくれました。

 

ラゴス行きの車を確認して乗車。このままだと間違いなく風邪をひくので、上だけでも着替えることに。

タオルで体を拭いてじっと車内で出発を待ちます。すると意外にも人が乗り出して出発。

 

一瞬冷静になり頭が動き始めます。「ベナン入国がたしかおとといの10時頃で、今は9時。それにパスポートには入国の時間が書いていなかったので、きっと大丈夫だ」

 

ドライバーに「(ナイジェリアの通過)ナイラを買いたい」というと、「Seme Seme」と言うので「国境で換金しな」という意味と理解。

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相変わらずの雨。首都ポルトノボ(Port Novo)をいつの間にか通過していたようで、ここでなんと全員が降りてしまいました。

「おいおいなんだよ」と本当に不安になっていたら、僕だけを乗せて少し移動しました。

緊張が続きます。

 

⑬へつづく。

【西アフリカ⑪】まるでベトナム? バイクで溢れるベナン随一の街へ(コトヌー)

相変わらず朝早く目覚めました。

西アフリカの5月は日本ほど蒸し暑くはないので、A/Cが無くてもOK。

 

8時に出発。チェックアウト時に日本円硬貨をあげたら喜んでくれました。

ホテルを出たところで、少年に話しかけられたのでタクシー乗り場の場所を聞きました。ところが地図の読み方が分からないのか、うまく話が進みません。

そのうち4、5人が集まってきて、結局タクシーを拾える場所までバイクタクシーで送ってくれることに。ありがたい。

 

5分ほど待っていると、乗り合いタクシーを停めることに成功。コトヌー(Cotonou)までCFA600で行けるようです。

ちなみにコトヌーベナン最大の街ですが、首都ではありません。首都はポルト・ノボ(Porto Novo)です。

 

相変わらずの乱暴な運転。渋滞にはまりながらも車は東へ走ります。渋滞でドライバーもイライラしている様子。

 

途中、中国人を見つけたドライバーが指を差しました。「Je suis de Japon.」と言うと「Bon.」という返事が返ってきました。

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コトヌーの町中に入り、適当な場所で下車。数人に訊きながら今夜のホテルLe Chant d'Oiseauというクリスチャン団体が運営する安宿に着きました。

 

残りのCFAを考え、A/Cではなくファンの部屋を選びました。

案内してくれた人と、布団やコップの数を一緒に確認後サイン。ここではインターネットができるのでさっそくすることに。

 

ガーナのアクラ以来のメールで両親も心配しているかも。

せっかくなので、明日のナイジェリア・ラゴスのホテルの予約もすることに。

ネットの速度がえらく遅く、結局これくらいしかできませんでした。

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近くにスーパーがあるようなので歩いて行くことに。やはりスーパーは楽しい。お土産候補を物色しました。

帰りに中華料理レストランHai Kingへ。

2階のテラスが気持ち良かったです。

 

トーゴといいベナンといいバイクが本当に多い。クラクションもブーブーうるさいです。目と閉じるとベトナムにいるような感覚になるかも。

 

ヌードルとチャーハンを注文し、時間をかけてゆっくり食べました。

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少し熱気の籠る部屋に戻り、ベッドで横になると少し寝てしまうも雨の音で目覚めました。

止むのを待ってから外出。ビーチを目指すも遠すぎで断念しました。

日記を書いていたペンの出が悪くなっていたので路上で売っていた少女から購入すると「Merci.」と言われました。

それでもこの街では、数人にひとりの割合で「Chinois!」とか「ニーハオ!」とかニヤニヤ顔で言われました。

無視が一番と分かっているのですが、やはり頭にくるものです。

 

今日は結局移動日となってしまいました。

明日は旅の最終目的地・ナイジェリアのラゴス(Lagos)入り。

陸路での国境越えから治安まで不安だらけ。でもどうにかなるでしょう。

 

⑫へつづく。

 

【地図】

 

【西アフリカ⑩】ベナンの田舎町でホッとするひと時 旅の疲れを取る(ウィダー)

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僕が泊まった安宿、Edelweiss Les Retrouvaillesのオーナー・イブさんはホテルの改装と集客に悩んでいると打ち明けてくれました。

 

ウェブサイトを開設することと看板を増やしてみては?とせん越ながら助言されてもらいました。

何より僕がここへ来たのもLonely Planetに載っていたからであり、この点をどうにか生かしてもらいたいものです。

 

広大な敷地内には、犬、猫、鳥、猿などいろいろな動物がいて楽しかったです。

 

会話を楽しんだあとは部屋でゆっくり過ごしました。

その後町へ歩き出します。

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すぐ隣の小学校の壁に「Japon」と書かれていたので写真を撮ったら子どもたちに囲まれました。

立ち去ろうとしたらバイクに乗ったおじさんに呼び止められました。

おれを校内へ招待してくれるのかな?と思ったら「写真を撮るな」と怒られてしまいました。笑顔で謝罪しましたが、??なんでだろう。

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その後、ぐんぐん町へ歩いていきます。ここは田舎町であり、観光客は皆無。そのせいか住民からの視線を痛いほど浴びます。なかなか慣れないものです。

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僕がこの町に来たのは目的があります。それはある博物館です。

この海岸線には複数ありますが、やはり奴隷に関する博物館です。

このウィダーという町から海の向こうへ運ばれた奴隷たちは、ハイチやブラジルへ送られたそうです。

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展示品はあまりなく、画と写真がメイン。

ここにもありました。「Point of No Return」。

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オークションにかけられた奴隷たちは、木の周りを何周もさせられ、祖国の記憶を消そうとされたそうです。

そして3キロ先のこの海まで連行されたのだとか。

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海は美しく、空と黄色い砂がパーフェクトにマッチしています。

ここのビーチにはモニュメントがあり、遠くから見るとキレイなのですが、近くで見ると奴隷たちの苦しみの表情が描かれていました。

 

バイクタクシーでホテルに戻った僕は、部屋で休んでから夕食をホテル内で食べることに。

魚を注文したらC'est tres bon!ご飯をおかわりしました。

 

部屋に戻っても仕方ないので敷地内を散歩します。ここは蚊が多い。

犬と戯れていると、従業員のひとりが話しかけてきました。

トーゴ人のコミ。少し英語を話す明るくて如才無い人でした。

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ピーポーという犬と一緒に遊んだり、ここまでの旅の写真を見せていると突然の停電。

これはこれで楽しく、小一時間ほどランプの下で遊びました。

 

ここの犬は幸せだと思いました。広大な敷地で走り回り、好きなところで眠る。

それに飼い主は優しいときた。

僕は高校生の時に習ったフランス語を必死に思い出して、でもほとんど英語でコミと話しました。

 

よく覚えているのは、コミに「日本の写真を見せてほしい」と言われたこと。次回からの旅には用意しておこうと思った瞬間でした。

とにかく居心地の良かったこのホテル。もっと宿泊客が増えてほしい、と心底思える場所でした。

 

明日はベナンいちの街コトヌー(Cotonou)を目指します。

⑪へつづく。

 

【地図】

 

【西アフリカ⑨】ゾマホン氏の母国 ベナンに入国する(ウィダー)

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深夜、ACが効きすぎて寒さで目覚めました。

でも消すと暑いので付けたり消したりの繰り返し。

7時に起床。少しお腹が緩んでいました。

 

8時前にホテルをチェックアウト。外で座って待っていると、スティーブさんが迎えに来てくれました。ありがたい。

 

茶色のスーツに身を包み、ビシッと仕事モードのスティーブさん。これはかっこいい。

タクシー乗り場まで送ってくれ、今日の目的地ウィダー(Ouidah)までの交渉をしてくれます。CFA4000で話がまとまりました。

 

スティーブさんにお礼を言ってお別れ。運転手はマリオカートのごとく猛スピードで運転士、他車をぐんぐん追い抜いていきます。

首都を離れたトーゴは本当に何も無く、のんびりしている国という印象を受けました。

 

90分後、国境に到着。ここで一瞬バックパックとお別れ。若干不安に駆られますが仕方のないこと。

出国の手続きでは、ベナン(Benin)での滞在予定ホテルなどを訊かれました。賄賂を覚悟していましたが、それは杞憂に終わりました。

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そしてそのまま歩いてベナン側へ移動。48時間有効の通過ビザであれば、日本人は国境で買えるので、CFA10000でゲット。入国管理人が「ボールペンをくれ」というので「それくらいなら」とあげました。握手をして無事入国。

 

先ほどトーゴ側のドライバーが待っていてくれました。国が変わっても猛スピードの運転手。ゾマホン氏の母国もやはりパームツリーがそこここに生えていて美しいです。でもやっぱり何も無い・・・。

 

ロードサイドでは瓶に入れられたガソリンが売られています。

目に飛び込んでくる看板はNO AIDSを呼びかけるものばかり。よく見るとコートジボワールからナイジェリアまでの各国の国旗が描かれています。広告は国境を飛び越えるようです。

 

ちなみにトーゴベナンの間には1時間の時差があるので、時計を1時間早めました。

 

今日の目的地ウィダーに到着。バイクタクシーと交渉し、ホテルへ送ってもらうも予想通り道が分からない様子。現地人に訊いてようやく到着。

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Lonely Planetで紹介されている安宿で、静かでのんびりしたホテルでした。

AC付きの広い部屋を選択し、併設のレストランでチキンライスを注文します。

料理ができるまでの間、オーナーのイブ氏と話します。英語を流暢に話す人だったので、ここでも質問をしてみました。

 

「ヨーロッパ人を恨んではいない。歴史から学ぶべき」

ゾマホン氏の父親は有名なジャーナリスト」

「アフリカはもっと働くべき」

「中国人は建築で少し居るが、現地人とかかわろうとしない」

「以前は北朝鮮人、キューバ人、ロシア人もいた」

「アメリカの黒人に親しみがある」

 

教養のある人のようで会話が弾みました。ゾマホン氏を知っていたことに驚き、日本出発前に高円寺でもらったゾマホン氏が表紙のフリーペーパーをあげました。

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⑩へつづきます。

 

【地図】

 

【西アフリカ⑧】貴重体験 トーゴ人の生活を垣間見る

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今日はスティーブさんが10時に迎えに来てくれるので、部屋でフランス語の勉強をして待機します。10時半頃来てくれたので、日焼け止めクリームを塗り虫よけスプレーを携帯して出発。

 

目的地が分からず、後部席に座っているだけでしたが景色を楽しめました。

トーゴは犬よりも山羊が多い。そして山羊は顔が不細工だけど動きがかわいい。そしてトーゴの道路は砂&凸凹ばかりで危ない。

車が穴を避けようとして後ろから来たバイクと衝突!なんてこともあるんだろうなぁ、なんて考えていると、昨日もおそらく来たであろう家に到着しました。

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早速ランチをごちそうになりました。

次に向かったのは青空市場。今朝殺したであろう肉も並んでいます。ご丁寧に頭まで置いてあり生臭さが漂います。

何より日本では見かけないようなフルーツや野菜が並んでいて興味深かったです。

 

売る側はあまり商売熱心ではなく、ものを渡して現金を受け取るのみ。

 

帰り際に「シノワ」「ニーハオ」という声が聞こえてきましたが無視しました。

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さて、トーゴの電柱は木製です。家の塀は高く、泥棒対策のよう。

ストリートでは、即席のゴールで子どもたちがサッカーをしていますが、車が通ると一時中断。

この国は車優先なのでしょうか。グイグイ攻めるし、クラクションも容赦なく鳴らします。

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犬は日本犬そっくり。家の庭にはレモンの木が。

一緒につかせてもらったお餅のようなフーフーを手でいただきました。

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その後、5人でビーチへ。長く、大きく、キレイなビーチですが、波が高かったです。

用を足すな!という看板がイラスト付きで置かれていました。

凧上げをしている人が多かったです。

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トーゴは一夫多妻制の国なので、スティーブさんもお母さんと兄弟がとても多いのです。

生みの母以外ともうまくやっているようです。

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イスラム教徒のお母さんの家には、中国製の蚊取り線香がありました。

 

家の中で楽しんでいる間、ドライバーは車で待機しています。ここはビジネスライクのようです。

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ホテルまで送ってもらう道中、「ラゴスでは十分気をつけて」とアドバイスをもらいました。ガーナ人にもトーゴ人にも言われるとは恐ろしくなってきます。

 

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さて、明日はベナン(Benin)に入国予定。また国境で賄賂を渡すことになるのでしょうか…

 

⑨へつづく。

 

【地図】

 

【西アフリカ⑦】トーゴに帰省中の友人に 市内を案内してもらう(ロメ)

前日インターネットカフェで待ち合わせの博物館の場所を確認しておいたので、約束の13時5分前に問題無く到着。

しかし、待てど暮らせどトーゴの外交官スティーブさんは現れません。

 

ぐるっと博物館を一周して、別の入口を発見。それでも現れないので、近くにいた若者2人に「電話を貸してください」と頼むも、「SIMカードが無い」と言われました。

僕のCFA1000を渡して一人にカードを買ってきてもらおうとお願いするも不発。

それから他の人が現れて、このスタンさんという方が助けてくれました。

 

売店3点目でようやくSIMカード購入。スティーブさんに電話すると繋がりました!

今いる場所を伝えるもやはり現れません。さっきいた場所へ戻ったところでスタンの電話が鳴ります。どうやら場所が違っていたよう。少し歩いてようやく合流。

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東京で一度お会いしているし、お互いなんとか顔を覚えていたのでよかったです。

外務省の中へ入れてもらい、「銀行で両替をしたいです」と伝えると、彼の友人がより良いレートでCFAを売ってくれるとのこと。

 

ということで、その人が来て出発。さらに2人男性が同乗します。この2人、スティーブさんの専属ドライバーなのだとか。

 

さっそく市場(Grand Marche)を歩いて買い物。スティーブさんのおかげでぼられることはありません。僕は市場の活気が大好きで、歩いているだけで楽しかったです。

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一度ホテルへ戻り、日本からお土産で用意していた扇子を渡しました。スティーブさん、お母さん、ドライバーのお二人、そして外務省の女性。

 

次にMarche des Feticheursというところへ案内してもらいます。

ここは着いたときから鼻をつく臭いがしました。

犬、猿、トカゲ、昆虫etcあらゆる動物・生き物のミイラが置いてあり、異様な光景です。

ここは何かの聖地らしく、アフリカ中の病人がここまで買いに来て薬として使うそう。

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お腹が空いている旨を伝えると、スティーブさんの家でごちそうになれることに。

旅先で現地の人の家に行けるとは。これは嬉しかったです。

 

道中、トーゴの首都ロメの道路はボコボコ。車に揺られながらスティーブさんにいくつか質問をしてみました。

 

・今トーゴに最も必要なものはなんですか?→インフラ整備

・アフリカ各地にレバノン人が多いのはなぜ?→貿易

・外交官になった理由は?→トーゴを有名にしたい

・アフリカ系アメリカ人についてどう思いますか?→自分たちは親しみがあるけど彼らはきっと無い

・アフリカ各地にいる中国人について→病院を建ててくれた

・隣国との関係はどうですか?→良好

旧宗主国フランスについては?→人々はBonだけど、政治がダメ

 

スティーブさんのご自宅では、お母さんがキーマカレーのようなものを作ってくれました。とてもおいしかったので、「日本でトーゴ料理をやられては?」と伝えました。

 

家の中を案内していただき、その後スティーブさんの親戚や友人、仕事仲間を紹介してもらいました。友人に友人を紹介する。そういう風習なんだろうなぁと思いました。

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また明日会う約束をしてホテルまで送ってもらいました。

 

⑧へつづく。

 

【地図】